はじめまして。
EN BLISSの幸田麻依子(こうだまいこ)と言います。

勉強もできずやる気もない学生時代から、
就く仕事すべてでNo.1まで登り、

大病を患いながらも、
年間売上2億円や転職一年で年収1000万円など、
様々な実績を達成してきました。

現在はコミュニティ運営、保険代理店、
セミナー事業、出会いカフェと複数の事業を運営しています。

このプロフィールでは、
学生時代いじめにあった経験から、
他人を信じず自分一人の力で生きてきた私が、

思いやりや人との出会いを通じて、
どのように人生が変わったのか?

劣等感からはじまり、
現在に至った話を5分ぐらいでします。

これまでに深く関わった人達だけにお話ししている
「私の根幹の一番大事な話」を掲載しています。

保険の営業マンだけでなく、自分を変えたい、
変わりたいと思っている人には刺さる考え方を話しています。

なので今このページを開いてもらっただけでも、
結構ラッキーかなと思います。

すべて私自身の経験に基づいて話す体験談なので、
よくある経歴だけを書き連ねた
そんなプロフィールよりは面白いと思います。

はじめに

本題に入っていく前に、
私のこれまでを簡単な流れにすると‥

中学時代に壮絶ないじめを経験し、
「逃げたら負け」と一匹狼になる

パワハラ&能無し&セクハラクソ上司に絶望、
部下の身代わりに退職

アルバイト時代も責任者ポジションまで上り詰め、
喫煙室でヤクザの親玉状態

厳しすぎる指導でボロクソに嫌われ、周りは敵だらけ

大病を患い手足の自由も利かない、「死んだ方がマシ」と絶望

無力感の中、敵だと思ってた人までが
文句も言わず助けてくれる

自分一人では生きていけないことに気づく

大嫌いな保険会社で、人生初の尊敬できる上司に出会う

年間2億円の売り上げ達成など、多くの実績を上げる

しかし身体がボロボロ、
「健康寿命は残り10年」と宣告される

「だったら10年で
できることを思いっきりやりたい!」と決意

退職金も固定給も捨てて保険代理店に転職、
たった1年で年収1000万円達成

更なる人脈を作るために、
コミュニティ運営を構想する ←今ここ

と、いじめから大きな病気まで経験し、
遊びまくっていた学生時代の自分からは
想像も出来ないような人生を過ごしてきました。

今では自分を信頼してくれる、
そんなお客さんもたくさんできました。

・特別なトークスキルがある
・もともと人脈を持っていた
・人よりも才能がある

ということは全然なくて、

上に書いたように学生時代は遊びまくってましたし、
もちろん勉強はできなかったです。

そんな自分でも
今は人から信頼してもらえるような仕事ができて、
年収で見ても平均より大きく稼げていると思います。

そんな私も、
いくつかの出来事をきっかけに
価値観どころか人生が大きく変わったと感じてます。

その考え方自体は特別なものでもなんでもなく、
どんな人でも簡単に、
明日からでも実践できるようなことです。

だからこそ、あきらめてほしくない。
見える世界を狭めてほしくないんです。

特に、私の仕事は保険屋なので、

「思うように成約につながらない‥」
「自分の提案が刺さらない‥」

と感じている人にはハッとする話だと思います。

中学時代にいじめを経験、一匹狼の心に

“靴に牛乳をぶっかけられた“

“教科書に落書きされ、ボロボロに破かれた”

テレビドラマで見るような過激ないじめ。

だれにも頼らず、自分一人で生きていく。
中学生にしてそのマインドが出来上がった。

私の中学時代は反抗期がひどく、
手のかかる暴れん坊といわれていた。

気が強く、負けず嫌いな性格だったこともあり、
男子(特にヤンチャな)とはすごく仲が良かった。

しかし、

女子からのひがみが強く、
それを理由に過激ないじめが1ヶ月くらい続いた。

当時の出来事はショックのあまりなのか、
なぜかあまり鮮明に覚えておらず、
母から話を聞いて、
「そんなことがあったのか」と実感する程度。

母は当時、
精神的に相当参っていたようで、
転校や引っ越しも本気で考えていたらしい。

それでも
「ここで負けたらだめ」と、
いじめに耐えながら休まずに学校に通い続けた。

今思えばこの時
メンタルが相当鍛えられたのかもしれない。

そのうちに女子からのいじめは自然消滅していき、
クラスメイトとの関係も元に戻っていった。

それでも私の目に映ったのは、
当時の女子がそうだったように、

一度離れた人が何事もなかったかのように、
軽々とまた自分の元に戻ってくる。

それをみて
人や周囲のうわさ話を信じないようになり、
必ず自分の目で判断するようになった。

「逃げたら負けだ」
「誰も要らない、自分の力で生きていく」

中学生のこの時にすでに、
今の原点となるマインドが出来上がった。

どの仕事でもNo.1、しかしボロクソに嫌われる

そんな中学時代を過ごすも、
高校時代は特に何が起きるでもなく普通に過ごした。

専門学校へ進むも、
入学後も学校はほぼ行かず
友人と毎日ひたすら麻雀三昧。

勉強なんてもちろんやる気なんかなく、
学校もギリギリ卒業できたくらい。

絵にかいたような
不真面目な学生生活を送っていた。

そんな学生生活を送ったのち、
卒業後は中央出版株式会社に入社。

当時はハラスメントに対する意識が無く、
上司から社員に対するパワハラ・セクハラが当たり前。

部下の成績改善策なんか考えることはなく、
「言うことを聞かないとこうなるぞ」と、
見せしめに同期や後輩をどんどん退社に追いやる始末。

そんな会社のやり方に強い不満を感じており、
同僚や部下だけでなく、
チーム外の社員までもフォローしていて、
理解ある一部の上司からは評価されていた。

そんな感じで、
自分なりに効率的なやり方を模索し、
周囲の成績も伸ばそうとしたが、

「お前だけやり方が違う、やめろ」

会社から文句を言われる始末。

マジで意味わからん。
やってられるか。

パワハラ能無しセクハラクソ上司に
「こんな会社居られるか!!」
そう吐き捨てて、退社した。

その後はアルバイトとして
長年働いていた。

某アミューズメントパークでは
11年働いていたこともあり、
最高時給までどんどん上っていき、
正社員を抜いて責任者ポジションにまで就いていた。

私の指導は厳しく、
それこそ今でいうパワハラレベル。
正社員を含めた誰よりも怖がられた。

「入社したらまずは幸田さんへ挨拶しろ」

もはやヤクザの親玉。

喫煙ルームに行くと
みんなが席をゆずるような謎の状況(笑)

でも、

そこに至るまでに
人の何倍も努力した。

「人に意見できるようになるためには、
自分がそう言える立場にいなければいけない」

中央出版での経験を通じてそう考え、
誰よりも先にすべての仕事を覚えて即戦力になった。

しかし、

そんなパワハラまがいの指導のせいで、
一部の人間を除いて、
ボロクソに嫌われ、疎まれていた。

ただ、
上に立つ者として、
それも覚悟のうえだった。

だから、
バイトだろうが社員だろうが
そんなことはまったく関係なしに、
厳しく指導していた。

今でも、
開催するセミナーでは参加者に対して、
「パワハラ覚悟で来てください(笑)」
と伝えたうえで参加してもらっている。

それでもご参加いただいた方からは、
とても良かったとのお声をいただいている。

この考え方は正しかったんだ、と
今でも自分の芯の一つになっている。

大病を患い「死んだ方がマシ」と絶望

26歳のとき、
突如、リウマチを発症した。

若い年齢ではあまり発症例がないらしく、
新薬ができて試してみるも副作用がとんでもなくきつく、
辛い闘病生活がスタートした。

たった数センチの段差も上がれない。
ペンを手に巻き付けないと字が書けない。
両手でフォークを持たないと食事もまともにできない。
自分一人で着替えることもできない。

「なんで自分が‥」

そんな状況の中でも、
負けてたまるかと、
できる限りの仕事を続けていた。

しかし、

どんどん手足の自由がきかなくなってくる。

仕事も思うようにできなくなってきた。

とうとう自暴自棄になり、

「こんな足ならいらない!」
「いっそ死んだ方がマシだ」

こんな感じで暴れだす始末。

それを見た母が、
「私が代わりになれたら」

そう言って、
泣いていたのを今でも覚えている。

一匹狼ではいられなくなった

そんな母とは
昔から仲が良くなかった。

学生時代
自分がヤンチャしてたこともあり、
口出ししてくる母がとにかく疎ましかった。

そんな疎ましく感じていた母が、
私の体を本気で心配してくれて、
ありとあらゆる効果がありそうなものを調べてくれた。

敵だと思ってた仕事の同僚も、
私のできる範囲の仕事を考えてくれた。
できない他の仕事は周りの人がやってくれた。

誰も何も文句も言わず、
私が生きるために
いろいろな人が手を貸してくれた。

病気を発症したことで、
自分は一人では生きていけなくなったのだと悟った。

周りの人たちのやさしさを信じること

助けてもらった恩返しをしなければ。

人に対して
思いやる気持ちを持たなければ。

今でも病気は完治しておらず、
闘病は続いている。

でも、

この体験が、
今までの価値観を大きく変える
ターニングポイントだったのだと思う。

他人に尽くす⇒お金になって返ってくる

その後、周りの人の助けを経て、
次第に病状が良くなってきた。

このタイミングで、
娘のために正社員で働くことを決意し、
大樹生命保険株式会社に入社。

入社の理由は、
子どもとの時間を大切にしたかったこともあり、
土日休みの仕事であること。

もう一つは、
入社の話をくれた当時の部長が
人生で唯一尊敬できる人だと感じたから。

正直なところ、保険業の仕事は
・女だらけでうっとおしいのが嫌!
・仕事も友達勧誘みたいな営業ばかり

そんなイメージが強く大嫌いだった。

ただ、
誘ってくれた部長が人として尊敬できる方であり、
この人みたいになりたいと思った。

「どうせやるなら上を目指す」

入社後は多くの実績を上げた。

・年間2億円の売り上げ達成し、全職員の前で2回スピーチ
・1年半で育成リーダーに昇格(2016年当時最短記録)
・特別月で奨励旅行6回獲得

業務成績は順調だった。

しかし

ある時、体調を崩してしまい、
病院で診察を受けたところ

「あなたの健康寿命は残り10年です」

こんなことを告げられた。

メンタルはタフでも、
どうやら身体が着いていけてなかったらしく、
ボロボロになっていた。

仮に60歳で退職したら、
想定される退職金は2,000万円くらい。

しかし健康寿命からすると
実働時間はもっと減ってしまう。
金額はそこからさらに減ってしまう。

悩んで
友人に相談していたら、

「じゃあその10年で先に稼いでしまえば?」

あーなるほどね

それならそうと、
「この10年でできることを思いっきりやりたい!!」

この時、そう決心し、
3年間ずっと誘いを断り続けていた、
退職金も固定給もない保険の代理店に転職した。

普通に考えたらリスキーな選択。
なぜその覚悟ができたのか?

それは、
これまでずっと感じていたこととして、
本当の意味でお客さんに寄り添い、守るためには、
一つの会社だけの保険案内では限界があったこと。

例えば、
持病があることで保険加入をあきらめている方とか。

今だと、
どんな方でも必ず入れるくらい種類が豊富。

それなのに、
大樹生命にいると大樹生命の保険しか提案できない。

もっと他人のために尽くしたい。
その人のことを考え抜いたプランを提案したい。

これを実現するために勇気と覚悟を決めた。

44歳での転職。

「やるからには必ず成功する」

と周りに伝え、自らハードルを上げた。

そして
一年目で年収1,000万円を達成。

何か特別なことをしたわけでもなく、
ただ、相手のことを真剣に考えて
最善のプランを伝える。

人それぞれ人生は全然違うのに、
統計データだとか、普遍的な例をベースに提案しても、
その人にとってのベストにはならない。

将来を鮮明に思い描けるだけのリアルが必要。

そこを勘違いしている
数字目的の営業マンがたくさんいるのが現状。

本当に良い提案とは
相手のことを深く理解して、考え抜くこと。

万が一の時、家族を守るにはこの保険がいい、とか
持病があってもこの保険なら入れる、とか
この保険は要らないからむしろ解約した方がいい、とか

営業目標達成のためではなく、
相手を思いやれば自然と最適解が出てくる。

だからこそ信頼してもらえる。
喜んでもらえる。
感謝してもらえる。

「幸田さんに任せておけば安心」
「いつまでも私の担当でいてください」

そんなお声もたくさんいただいた。

他人を思いやること
=信頼を獲得するということ。

その積み上げた信頼が
お金になって返ってきただけ。

自分のやりたいこと。
他人をもっと思いやること。
これが私の大きな軸となっている

人との出会いで世界が変わる

自分の事業や人脈をもっと広げるために、
何かしなければ‥

そう思い、あまり気乗りはしないが
友人の紹介でビジネス交流会に参加してみた。

ビジネス交流会に行く前は、

自分を売り込むためにうまいことを言ってくる。
周りを持ち上げるようなうわべだけの会話ばかり。

そんなイメージが強くて、

「接待のようなものが大嫌い!」
「そんなの興味なし!」

と普通なら選択肢には挙がらなかった。

そんな先入観で乗り込む交流会。

いざ参加してみると、
業界業種を問わずいろいろな人達と話ができた。

和気あいあいとした、
つながりを大事にしようとする会話から、
自分のこれまでの人生では
考えもしなかったことばかり。

コーチング事業の人からは、
「幸田さんはコーチングを受ける側ではなく
コーチングする立場ですね」

この時の言われた言葉が、
セミナーを開催してみるきっかけになった。

チラシを作っている人からは、
「幸田さんは保険屋売りじゃなく、
幸田麻依子という人間を売るべき」だと。

コミュニティを運営している人からは、
「幸田さんは自分で作る側の人」と言われた。

その話を聞いたときに、
「自分が主になって立ち上げたほうが良いのでは?」
そんな思いが浮かんだ。

とにかく、何かアクションを起こしたい!

ワクワクするような感情が湧き上がる。

さまざまな知識や価値観、
人それぞれの生き方を聞いて、
自身の思考もアップデートされていく感覚。

唯一尊敬できる上司と出会った時も

「一緒に働いてみたい!」
「この人みたいになりたい!!」

そう思って、
身体がボロボロになっても走り続けることができた。

目の前に広がる世界が変わってくる。

人との出会いは
行動の動機になるんだと感じた。

そして

ここで私が体験したことを、
あのワクワクして居ても立っても居られない感覚を、
自分のコミュニティでも起こしてみたい!

その想いで立ち上げたのが
「麻依子の部屋」

自分が中心となり、
人と人をつなげること。

参加メンバーそれぞれの事業だけでなく、
みんなの人生そのものが上手くいく、
そうなれるように最善を尽くしていけること。

そんな唯一のコミュニティを
新潟に築いていきたい。

人生が変わるほどの体験をしてほしい

ここまで、
私のこれまでを長々書いてきましたが、
結論、私が大事だと考えるものは、

「他人を思いやる気持ちの大切さ」
「人との出会いで人生は変わる」

この二つです。

他人を思いやることは
その人からの信頼を得ること。

感謝されるほどに思いやり、尽くすことができれば、
いつか必ず自分に還元されます。

そして良い出会いは、
あなたの人生すらも変える力があります。
それは何歳になっても関係ありません。

私が初めて交流会に行ったのは、
2024年10月末のこと。

わずか4カ月で私の人生は変わりました。

何もかもが未経験。

でも昔から

「とにかくやってみる」
「やらずに後悔したくない」

そう考えて
いつも一歩を踏み出してきた。

踏み出す勇気と覚悟があれば、
人生は絶対に変わる!!

人は一人では生きていけないです。
一匹狼だった私が、闘病を経てそう感じたように。

人を想うことで心が豊かになる。

私だけでなく、
多くの人々との出会いと思いやりを通じて
そんな一日一日を感じてもらいたいです。

EN BLISS

幸田 麻依子

(こうだ まいこ)

<事業内容>
・コミュニティ運営
・研修、セミナー(法人、個人)
・コンサルティング
・集客支援
・ファイナンシャルプランナー(FP)

<経歴>

・アップル外語観光カレッジ 卒業
・中央出版株式会社 入社
・アルバイトとして、コンビニ、飲食店、アミューズメントパークなどで勤務
・大樹生命保険株式会社 入社
・保険代理店として転職
・EN BLISS 設立、「麻依子の部屋」立ち上げ

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